お写真の募集と寄付

 

こんにちは。

 

昨夜から札幌は雪が降り、朝起きたらどっさり積もっていました。

 

 

雪なんて関係ないふたり

 

 

 

かわいいなぁ

 

 

 

すっかり大人になりました

 

 

 

どうぞよろしく

 

 

さてさて、【宇里の作品で遊んでいる愛鳥ちゃんのお写真を募集します】

催事等で編集してムービーを流すため、ご協力いただけたらと思います。

お写真は以下のようにお願いいたします。

・宇里のアスレチックや止まり木、なんでもいいので遊んでいるお写真

・横、もしくは正方形のお写真

・できるだけ全体が写っているお写真

・おひとりさま何枚でも可

 

TwitterはDM,Instagramはメッセージ、下記メールアドレスに添付

いずれかの方法でお送りください。

 

メールアドレス ari19705@outlook.jp

 

ご協力、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

さて、私は寄付というのを安易にしません。

法人さんは別として、個人で寄付を募っているところにはほとんどしたことがないです。

寄付をするときの自分の中の取り決めがあります。

活動内容が明確であること

寄付金の用途を公開していること(収支)

スタッフの体制が万全である確証があること

飼育環境を公開していること(写真などで)

検疫の環境を公開していること

 

動物界隈は、とかく「可哀そう」だけでいろんなことが動きます。

「可哀そう」以外の事実には目も向けず、目の前の「可哀そう」だけに胸がいっぱいになり、私に出来ることは何かないだろうかと優しさのあまり考えてしまいます。

極端に視野が狭くなるんですね。「可哀そう」というのは。

・いつ、どこで、誰に、何をされて・どうやって・誰が・どうしているのか

口先だけじゃわかんないですよね。

見ず知らずの人を信用するに値する情報がないから。

わかんないから寄付をしないんです。

少なくとも、人様に寄付を募り、「お金」を得ている以上、それを明確に公表するのは当たり前の話だと思うのですが、逆に公表しない理由がないのだとしたら、それはだらしがない人ってことになりますよね。

動物を扱う限りは、そういった細やかな配慮が出来る人であってほしいなと思います。

 

 

逆に、しっかりとした活動内容を公開し、スタッフの体制、保護した動物たちの管理や収支が明確に公表されている所には、安心して定期的に寄付をします。

 

それが、私の中で誰を信じるかの境界線です。

 

 

最近特によく目にするのは、動物の虐待です。

虐待を発見したということは、虐待した人がいるわけで、それは虐待を発見した人が通報するか、病院へ行ったなら獣医師が通報する(虐待とみられる動物を診察した場合、獣医師には警察に通報する義務がある)ことになると思います。

なんであれ、虐待した「犯人」は罰せられなければなりませんね。

虐待したあとに、すぐに逃げているわけでもないでしょうし、捕まって欲しいものです。

大概、寄付をしたところで警察の話は出てこないので。

 

 

 

寄付はお金の問題というよりも気持ちだとは思います。

気持ちだからこそ、自分の思いを大事に使いたいと思います。

 

 

 

今日は極寒です。

マイナス14℃になるんですって。

今年は寒い北海道です。

 

 

ドロン

 

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