鳥の世界は狭い

こんにちは。

 

今日は寒いのに、更年期の私はバリバリの半袖だったりする。

ヤダヤダ。

 

 

 

 

ごめんね、うちの子可愛くて。

 

 

 

私はうちの子が可愛いでしょーーって自慢はするけれど、鳥を飼っていない人にそれを理解してもらおうとは思っていない。

動物の中で鳥の地位(?)が低いとも思っていない。

エキゾチックの飼育者が少ないことは、イコールその動物について知られていないことだと思っている。

それは当然のことで、例えば私は爬虫類のことや昆虫のことは全く無知である。

でもそれを他人に非難されることもないし、知れと強制されることもない。

よく、鳥を飼っていると「焼き鳥にして食べるの?」とか「外に放ってあげればいいのに」などと言われる。

それは私が昆虫を飼っている人に向かって「気持ち悪い」とか「そんなのペットにするなんて」と言っているのと同じだと思う。

だって昆虫のこと知らないんだもの。

自分は言ってもいいけど、言われるのは許せない。

それはおかしいよね。

だから何か言われても、この人知らないんだなーで終わる。

必死に、この人に鳥の素晴らしさを伝えようとも思わない。だってその人にとって鳥が素晴らしいかどうかは私が決めることじゃないから。

 

犬猫を飼っている友人たちには、鳥の生態について、また飼育方法について聞かれることがある。

そのときは聞かれたことだけを答える。

そして最後に、うちの子すっげぇ可愛いんだと付け加える。

 

私は鳥の世界を世界中に広めようなんて壮大な志は持ち合わせていないし、飼ったことがない人に鳥の素晴らしさを伝える気もない。

何のために?と思うから。

もしも昆虫を飼育している人に、「なんで理解しないんだ。こんなに素晴らしい動物なのに!あなたも飼うべきだ!」と詰め寄られたら、どんな気分になるだろう。

同じことを鳥だからといってできるだろうか。

 

犬猫に比べて鳥は飼育者が少ないし、比例して病院だって少ない。

犬猫と同じ水準まで引き上げたいとも思わない。

分母が大きければ、それは当然のことだから。

 

うちの子達のことを、私は家族だと思っている。

でもその大前提には、「ペット」と「人間」であるという関係性が絶対条件だ。

ペットは人間の生活を豊かにするために存在する。

そもそもペットとして飼育していること自体が人間のエゴなのだから。

この子達は人間のペットとなるために品種改良されて生まれてきた。

私はいつだってこの子達に、人間として申し訳ないと詫びている。

この子達にいくらのお金をかけたとか、どれだけお世話をしているかで愛情の深さを計るのではなく、家族であると声高らかに叫ぶよりも、そこに当たり前に居る存在として(長年連れ添った老夫婦のように)私はこの子達を家族と呼ぶ。

 

ツレが臨床獣医師だったとき、エキゾチックアニマルも診療していた。

鳥の飼い主さんは、とても愛情が深くて大切にする反面、知識だけはあるけれど融通が利かず、とても視野が狭い人が多いと言う。

それは他の獣医師さんからもよく聞く話だ。

それで獣医師を罵倒することも多く、そんな事例は山ほどあって、鳥の診療をしていた獣医師さんが次々に診療をやめていくのを目にする。

鳥を診る病院が少ないのは、鳥の飼い主の責任でもあることを知っておいてもらいたいと思う。

 

 

我が家の飼育は、おおらかに、ゆったりとである。

それは絶対的な適正飼育を目指すことが絶対条件としてである。

適正飼育を目指さずにおおらかに育てようというのは、ただの怠惰でしかない。

 

 

鳥の世界はとても狭い。

その中で叫ぶよりも、他の動物についてもっと知ってみると、意外と大きなヒントを得ることができると思う。

 

 

ドロン

 

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